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閑谷焼(しずたにやき):異色の備前焼

 

岡山県備前市には、1670年に建てられた旧閑谷学校があります。旧閑谷学校は国が指定する重要文化財であり、日本最古の「庶民のための学校」として知られています。

 

この閑谷学校の屋根はすべて耐久性の高い備前焼瓦で作られています。備前焼瓦は5万枚にも及び、これを作るために新たに窯が創設されたほどです。その後、京都から職人を招き、この窯を利用して閑谷学校で使うための食器や祭器などが焼かれるようになります。これが、後に閑谷焼と呼ばれるようになりました。

 

 閑谷焼の歴史
それまで脚光を浴びていた備前焼は、江戸時代(1603~1868年)に入ると衰退していきます。土色の質素な備前焼に取って替わり、美しい他の陶磁器が重宝されるようになったからです。

 

それに伴い、備前焼にも変化が起こるようになり、この時代では異色の備前焼が作られるようになりました。その1つが閑谷焼です。

 

備前焼の特徴は、釉薬(ゆうやく)を使わないことです。釉薬とは、陶磁器の表面を覆うガラス質のものを指します。ただ、閑谷焼では釉薬を使用しています。色も備前焼のような土色とは限りません。白色や淡黄色の備前焼風の作品が作られています。

 

また、どこか備前焼に似ているものの、閑谷焼では色や質感などが備前焼とは大きく異なります。同じ陶磁器である京焼の陶工、野々村仁清(ののむらにんせい)が指導して閑谷焼を作成したことから、備前焼と京焼が混ざって京焼風の備前焼へと発展したのです。

 

なお、後に白備前と呼ばれる白色をした備前焼が開発されますが、これには閑谷焼が大きく影響しています。白土に白や透明の釉薬をかけることで、白色の備前焼を表現したのです。

 

ただ、閑谷焼が焼かれていた窯は十年程度で閉鎖されます。その後は、備前市にいる伊部の陶工たちによって、断続的に閑谷焼が作られていました。

 

閑谷焼が盛んだった初期のころは、置物などを含めて力強い作品が多いです。しかし、メインで作られる作品ではないため、時間の経過と共に閑谷焼は質を落としていきます。そして、現在ではその姿を消しました。


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ギャラリーしょうざん
備前焼の産地である岡山県伊部で、備前最大のギャラリー。また窯元としての誇りと伝統で、備前焼の展示・販売を行う。

備前焼:ギャラリーしょうざん


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