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「侘び寂び」の考え方:茶道の精神と心得

 

「侘び寂び」の考え方:茶道の精神と心得

茶道では、「侘び寂び(わびさび)」という言葉が頻繁に使われます。茶道の言葉ではあるものの、日常生活の中で侘び寂びの心は日本人に深く息づいています。

 

ただ、侘び寂びの考え方を説明するとなると、とても難しいです。人によって解釈が違うため、厳密なことまで説明することはできません。ただ、侘び寂びの根底にあるのは「不完全を美しいと思う心」であるといえます。

 

 侘びと寂びの意味
芸術作品というのは、豪華で美しい姿が好まれる傾向にあります。そのため、日本で茶道は古くから行われていますが、室町時代(1336~1573年)までは豪華な茶会が主でした。

 

ただ、ここから時代が流れると、次第に質素倹約が良いとされるようになります。そこで、茶道でも豪華なものを排除して、質素な形へと変化するようになります。このような質素なお茶は「侘び茶」とも呼ばれます。日本で行われる茶道は、侘び寂びを原点として受け継がれています。

 

「侘び」という言葉には、「気落ちする、悲観する」という意味があります。また、「寂び」には、「古くなる、色あせる」などの意味があります。

 

普通に考えると、どちらも良い意味では使われないような気がします。ただ、悲観するようなさびしい風景で、色あせているような様子であっても、そこに美しさがあると考えるのが日本人特有の感性であるといえます。

 

例えば、日本では秋になれば山に生い茂っている木の葉が赤色や黄色に染まります。この景色を求めて、多くの人が山の散策に出かけます。寺に行けば、独特の雰囲気を味わうこともできます。

 

 「侘び寂び」の考え方:茶道の精神と心得  「侘び寂び」の考え方:茶道の精神と心得

 

ただ、秋が過ぎれば寒い冬が訪れます。それでは、葉っぱが散ってしまい、それまで美しかった景色が見れなくなった場合、どのように思うでしょうか。このとき、日本人でなければ、寒々しい景色に落胆することでしょう。

 

しかし、このような情景にこそ不完全な美があります。「それまで人々を魅了していた場所が閑散としている寂しさ」「赤色の葉っぱが最後の一枚だけ残っている健気さ」など、ここに本当の美しさがあると考えるのです。これが、日本人の考える芸術であるといえます。

 

侘び寂びというのは、簡単に考えれば「地味」になります。ただ、単なる地味とは違います。無駄を排除することで、そこに芸術性をもたせるのです。

 

 茶道での侘び寂び
侘び寂びの考えを究極まで突き詰めた文化が茶道です。現在の茶道では、花を生けるとき豪華に飾ることはしません。何本もの花を用いると自然の状態に見えないため、あくまでも1~2本の花を活用して、ありのままの状態を表現しようとします。

 

「侘び寂び」の考え方:茶道の精神と心得

お茶で活用するための道具を見ても、均一な形でない場合は多いです。むしろ、デコボコした形の道具が多用されます。

 

きれいに整っている道具よりも、不完全な方が良いという茶道の考えがここからも伺えます。

 

豪華さというのは、あらゆる要素を人工的に付け加えたものでもあります。一方、本当に必要なものだけを残し、究極のシンプルを求めることにも美しさはあるはずです。

 

シンプルに削ぎ落とすと、そこには自然のままの姿が残ります。そのような「ありのままの姿」にこそ、偽りのない清らかな形が表れるのです。

 

地味なことに美しさを感じる日本人は、世界的に見てかなり特殊であるといえます。これには、茶道で行われている「侘び寂び」という日本特有の伝統文化が深く関わっているのです。


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