日本伝統文化スタイル - 伝統工芸品や日本文化のポータルサイト

唐物に偏っていた茶道具の歴史

 

唐物に偏っていた茶道具の歴史

お茶を飲むことが茶道で重要であるため、道具がなければいけません。このときの茶道具は、歴史と共に変化しています。

 

かつては、現在のように「茶道を行うこと」は着目されていませんでした。それでは、どのような茶道が行われていたのかについて、歴史と共に振り返りたいと思います。

 

 道具に偏っていた茶道
もともと、お茶は中国から伝わってきたものです。日本の外からきた最先端の流行がお茶であり、当時はギャンブルを行うために茶道をしていました。お茶の銘柄を当てるというゲームをして、ここに高価な金品を賭けていたのです。

 

このようなこともあり、初期に行われていたお茶は現在のような「茶道のために道具を扱う」ことをしませんでした。それよりも、まず最初に高価な道具があり、それにお茶を付け足したような感じだったのです。

 

このときのお茶というのは、唐物(からもの)という中国製の磁器を使用していました。この磁器は見た目にも均衡がとれていて、釉薬(ゆうやく:磁器の表面を覆うガラスのような物質)がかかっています。模様も美しく、高額な器が用いられていました。

 

このような風潮では、「礼儀を重んじる」「相手に心を尽くす」というよりも、「高価な道具を揃えてそれをどのように披露するか」ということに偏ってしまいます。当時、貴族たちの自慢大会の場が茶道だったのです。

 

武士たちの間で茶道が盛んであったことから、大きな権力をもつ武将の中には、高名な茶道具をもっている人を殺してまで手に入れようとしました。それだけ、茶道具は貴重な存在でした。

 

 質素なお茶への変化
こうした茶道が現在のような形になったのは、千利休(せんのりきゅう:1522~1591年)による功績が大きいです。利休は仏教で行われている「質素倹約」の精神をお茶に取り入れ、道具に偏っていた茶道とは真逆のお茶を目指すようになります。

 

こうして、それまでのような豪華さを排除し、質素倹約な茶道である「侘び茶」を利休が完成させました。それと同時に、道具にも変化が起こります。

 

磁器は、高温で焼くことで密度が高くなり、薄くて堅い器に仕上がります。その代わり熱を素早く伝えるため、お茶を注いだときは熱くて手で持てないほどになります。

 

そこで利休は、楽茶碗(らくちゃわん)という陶器を考え出します。この茶碗ではロクロを使わず、手だけで形を造っていきます。そのため、形はそれまで茶道で使われていた中国製の磁器のようにバランスのとれた形ではありません。

 

また、このときは低い温度で焼きます。そのため、高温で焼くことで仕上げた磁器に比べると脆いです。その代わり、熱伝導が低いために熱いお茶を注いでも手で持つことができます。また、柔らかい質感なので手に馴染みます。

 

 唐物に偏っていた茶道具の歴史

 

つまり、利休は「茶道で用いるための道具を考案した」ともいえます。道具による茶道ではなく、茶道のために道具を使うことを考えたのです。

 

初期の茶道では、日本製の陶器はほとんど用いられませんでした。時代の流れと共にお茶の形が変化していったというわけです。ただ、利休は中国製の磁器(唐物)を否定したわけではありません。利休も唐物の磁器を茶道で使用していました。

 

道具に捉われているようでは、茶道は現在行われているような伝統文化にはならなかったでしょう。「相手を思いやる」という茶道独自の考えが生まれこそ、ようやく物事の本質が見えてくるものです。


 スポンサードリンク

サイトマップ
HOME