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茶道での名物とは何か

 

伝統文化の中には、名高い道具があります。日本であれば、日本刀などの武具から特定の物に名前を付けるようになったといわれています。

 

例えば、日本人であれば誰もが聞いたことのある名刀として、正宗(まさむね)が知られています。

 

これと同じように、茶道具にも名高い道具があります。茶道では、このような道具を「名物(めいぶつ)」といいます。茶道での名物とは、優れた道具類であることを意味します。

 

 茶道の名物
室町時代(1336~1573年)の茶道では、道具に偏ったお茶会が開催されていました。つまり、現在の茶道で行われるような「できるだけ無駄を排除した質素なお茶」ではなく、可能な限り豪華な道具を用いたお茶を行っていました。

 

当時は唐物と呼ばれる中国製の高価な道具が重宝されていました。そのため、この時代の名物といえば中国から輸入された茶道具です。

 

ただ、時代の移り変わりとともに茶道の形も変化していきます。それまでの豪華さをそぎ落とし、本当に必要な部分だけを残して質素倹約な茶道が行われるようになりました。これを侘び茶といいます。

 

侘び茶を完成させた、日本で最も有名な歴史上の茶人として千利休(せんのりきゅう:1522~1591年)が知られています。現在の日本で行われている茶道は、すべての流派が利休から枝分かれしているほど影響力の強い人物です。

 

茶道の最高位に属する利休がいた時代では、当然ながら彼らが残した名高い道具類が存在します。利休がいた時代やそれより前の室町時代で重宝されていた名品を合わせて「大名物(おおめいぶつ)」といいます。

 

一方、利休の死後は小堀遠州(こぼりえんしゅう:1579~1647年)という茶人が新たなお茶を切り開いていきます。それまで地味だった茶道に対して、部屋に光を取り入れたり均一で形の美しい道具を使ったりするようにしました。

 

利休以前の大名物に対して、遠州によって選び出された茶道具を「中興名物(ちゅうこうめいぶつ)」といいます。従って茶道の名物では、主に大名物と中興名物の2つが存在するといえます。

 

ただ、室町時代を「大名物」、利休のいた時代を「名物」、遠州のいた時代を「中興名物」とするなど、3つに分けることもあります。

 

 名物の選定
これら茶道具のランク分けについては、出雲(現在の島根県)の国を支配していた松平不昧(まつだいらふまい:1751~1818年)による功績が大きいです。

 

不昧は城主でありながら、茶人としても名声を得ていました。彼は茶道の考え方を政治に活かしただけでなく、茶道具を収集して「宝物、大名物、中興名物、名物並、上之部、中之部、下之部」と7段階で格付けを行いました

 

このときの基準は現在でも活用されています。つまり、茶道の名物というのは、不昧の独断と偏見による名物リストの区分なのです。ちなみに、これら名物を取り上げた書物というのは、不昧が残した本以外にも数多く存在します。

 

なお、室町時代の将軍家(足利家)が所有していた唐物(中国製)の名物道具を「東山御物 (ひがしやまごもつ)」、江戸時代(1603~1868年)の将軍家(徳川家)がもっていた名物道具を「柳営御物(りゅうえいごもつ)」といいます。


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