日本伝統文化スタイル - 伝統工芸品や日本文化のポータルサイト

茶道と茶杓:「泪」の由来から茶道具を知る

 

茶道と茶杓:茶道具を知る

茶道を行うとき、重要なものとしては掛け軸や茶碗があります。掛け軸によって茶会の主旨を表すことがありますし、高価な茶碗も数多く存在します。

 

また、茶道で飲むお茶には、濃茶(こいちゃ)と呼ばれるドロリとした濃い抹茶を飲むことがあります。

 

抹茶は粉末ですが、濃茶用の抹茶を入れるための道具を茶入(ちゃいれ)といいます。茶道具の中でも、茶入は何億円もの値段が付けられていることがあります。

 

そして、茶杓(ちゃしゃく)も茶道具の中では重要な存在の一つです。抹茶の粉末を茶碗に入れるための匙(さじ)が茶杓であり、それぞれ銘が付けられています。なお、茶杓は竹で作られています。

 

 茶杓と銘:利休が残した「泪」
お茶は中国から伝わったものであるため、抹茶を入れるときは象牙などで作った薬匙が用いられていました。ただ、時代の流れと共に道具が変化していきます。

 

現在のような茶道を完成させた人物として、千利休(せんのりきゅう:1522~1591年)が知られています。利休のころから、竹製の茶杓が用いられるようになりました。そのため、利休が生きた時代より前の有名な茶杓は知られていません。

 

日本に存在する茶杓の中で、最も有名なのは「泪(なみだ)」という銘の付いた茶杓です。これには、茶杓に歴史的なエピソードがあるからです。

 

茶道は武士の間で重要な存在であり、上流階級の人たちが楽しむために行われていました。そのため、茶道の頂点にいた利休は大きな権力をもつようになります。当時、利休は日本で天下をとっていた豊臣秀吉の近くにいて、政治にまで影響力を及ぼすほど権力をもっていました。

 

ただ、秀吉の怒りを買った利休は、死罪(切腹)を命じられてしまいます。1591年、罪人となった利休は、護衛が付く中で京都から大阪にある堺へと船を出すことになりました。

 

利休には多くの弟子がいましたが、このとき船着き場で利休を見送った人物は古田織部(ふるたおりべ)と細川三斎(ほそかわさんさい)だけでした。

 

日本で最も権力のある人から死罪を言い渡された利休を見送ることは、自分も罪に問われる可能性があります。それだけ、命がけのことを二人は行ったのです。

 

この二人に感謝した利休は、自ら二本の茶杓を削ります。そうして、最後の茶会で削った茶杓を用い、それぞれ「泪(なみだ)」という茶杓を古田織部に、「命(ゆがみ)」という茶杓を細川三斎に与えます。

 

その後、織部は「泪の茶杓」を入れるための筒を作ります。この筒は黒色の漆が塗られており、そこには長方形の窓が開けられています。この筒を垂直に立てると、死者の霊を祀るために安置される位牌のように見えます。

 

織部は作成した筒に「泪の茶杓」を入れ、そこに開けられた窓を通して、茶杓に対して礼拝を行ったといいます。ちなみに「命の茶杓」については、焼失して残っていないとされています。

 

 茶道と茶杓:茶道具を知る
 ・利休 作 「泪」 徳川美術館より

 

 茶杓の形
このように、茶杓にはその茶人が残した歴史があります。その中でも最も有名なエピソードを先に記しました。歴史があるからこそ、そこには銘が記されているのです。

 

道具類といえば、通常は形が均一であるほど美しいとされます。ただ、茶道をはじめとする日本的な美は「不完全な中にこそ美しさがある」と考えます。そのため、茶碗であってもバランスのとれたものではなく、デコボコのある歪んだ器を用いることは多いです。

 

これは茶杓にも同じことがいえます。茶杓は竹を用いて作成しますが、通常の竹には節があります。普通なら節を避けて作品を作るように思いますが、茶杓では竹の節を有効に活用します。

 

通常、茶杓は17~18cmほどの長さであり、中央に節がくるようにします。節を避けるのではなく、できるだけ活用するのです。もちろん、節の位置が中央にない茶杓もあり、それぞれ個性があります。

 

茶道具の中でも、重要な位置を占める道具の一つが茶杓です。「泪の茶杓」などの歴史もあり、現在でも茶道での茶杓の存在は大きいです。


 スポンサードリンク

サイトマップ
HOME