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焼酎伝来の歴史

 

日本の文化は多くが中国から伝わったものです。中国から日本に入った後、独自の発展を遂げて日本文化として受け入れられるようになったものがほとんどなのです。

 

焼酎も同様であり、その原型は13世紀に中国で登場した蒸留酒だといわれています。このときの蒸留酒が日本に伝わってきたのです。

 

 焼酎が伝わったとされる4ルート
日本へ蒸留酒が伝来するとき、4通りの説があります。それぞれ、以下のようになります。

 

 1. インドシナ半島から琉球に伝わった
中世の琉球王国(沖縄県)は中国や朝鮮、タイ、ベトナムなどの国と活発に貿易を行っていました。その一環として、15世紀の中ごろにシャム王国(現在のタイ)からラオロンと呼ばれる蒸留酒を輸入するようになりました。

 

その後、今度はラオロンの製法が琉球へ伝わるようになります。これが泡盛(沖縄で飲まれる焼酎)の原型であるといわれています。日本で飲まれる焼酎の起源としては、この説が最も有力です。

 

このとき伝わった蒸留酒はその後、琉球の王族たちで飲まれる宮廷酒になったとされています。そうして、今度は日本列島へと伝えられていきました。

 

 2. 中国の雲南地方から、福建地方(中国)を通って琉球に伝わった
中国の雲南地方では、日本で古くに用いられた蒸留器とよく似た機械が発見されています。製造方法も泡盛の造り方と似ており、同様のことが中国の福建地方にもみられます。

 

そのため、「雲南地方(中国) → 福建地方(中国) → 琉球(沖縄)」というルートで伝わったのではという説があります。

 

 3. 中国から朝鮮半島を経由した後、日本へ伝わった
朝鮮で飲まれていた蒸留酒として、高麗酒(こうらいしゅ)というものがあります。高麗酒は15世紀に造られ、長崎県対馬に伝えられたとされています。

 

こうして、後に九州地方へと蒸留酒が広がっていったという説があります。

 

 4. 中国と海上取引を行っていた海賊が蒸留酒を日本へもたらした
13世紀から16世紀にかけて、中国大陸や朝鮮半島などで海賊や密貿易を行っていた人たちを倭寇(わこう)といいます。

 

彼らがアジア諸国と取引を行っていたとき、その一つとして蒸留酒を日本にもってきたという説があります。

 

 焼酎が飲まれていた文献記録
諸説はあるものの、いずれも日本へ焼酎が伝わったのは15世紀の中ごろとされています。また、その起源を中国の雲南地方にもつことも共通しています。

 

「これらの蒸留酒が日本で広まり、一般的にも広く飲まれていた」という16世紀の文献記録があります。例えば、1546年に薩摩(鹿児島県)に来たポルトガルの商人であるジョルジェ・アルバレスは、「日本人が米から造るオラーカ(蒸留酒)を飲んでいた」と記載しています。

 

つまり、このころには既に日本で焼酎が造られており、多くの人の間で飲まれていたことが分かります。米から造られることから分かる通り、このときのお酒は米焼酎です。

 

なお、蒸留酒の製法についても中国から伝わったとされています。前述の通り、中国の雲南省には日本で古くから使用されてきた蒸留器(カブト釜式)と似たものがあります。また、原料を発酵させる「麹(こうじ)」についても、雲南地方のものと似ています。

 

「日本の焼酎は雲南地方に起源をもつ」と考えることができるのは、蒸留酒そのものだけでなく、その製法や用いる原料まで似ていることから推測できるのです。


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