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琉球(沖縄)と泡盛の歴史

 

琉球(沖縄県)で主に作られる焼酎として、泡盛が知られています。泡盛は日本最古の焼酎であり、琉球では1470年ごろに造られ始めたとされています。

 

昔と今の製法を比べると、泡盛の基本的な造り方は何百年も変わっていません。それだけ、古くからの伝統が受け継がれているといえます。

 

 泡盛の始まり
琉球で泡盛が造られる前では、シャム王国(現在のタイ)で製造されたラオロンと呼ばれる蒸留酒が飲まれていました。ただ、15世紀の後半になると、シャムとの交易が徐々に減少していくようになります。

 

そうなると、独自で蒸留酒を造るしかありません。そこから、現在のような泡盛が発展していったと考えられています。

 

当時、泡盛は宮廷酒として用いられていました。つまり、一般庶民が飲むお酒ではなく、王族をもてなすためのお酒として活用されたのです。

 

江戸時代(1603〜1868年)になると、江戸幕府の将軍への献上品として泡盛を活用するようになります。また、中国皇帝の使者を楽しませるために用いられるなど、高級なお酒でした。

 

そこで泡盛は、琉球王族が定めた村だけで製造が許され、飲酒は厳しく管理されたといいます。ただ、こうした嗜好品は一般庶民にとって祭りなどのイベントで不可欠なものです。そのため、沖縄では各地で密造・密売が行われていました。

 

これが明治時代(1868〜1912年)になると、琉球王族による支配が終わります。それに伴い、泡盛の製造が自由化されて製造量が増え、日本各地で泡盛が飲まれるようになりました。

 

明治時代より前では、沖縄で生産された米などを泡盛の原料としていましたが、それ以降はタイ米を活用するようになります。

 

また、この頃に原料(米)や麹(こうじ:デンプンを糖に変えるため、米に微生物を生やせたもの)、酵母などを用いて一度にすべてを発酵させる「全麹仕込み」が一般的に行われるようになりました。こうして、泡盛の品質はさらに向上します。

 

 第二次世界大戦後の泡盛
泡盛は長期間置いておくことで熟成されることが知られています。3年以上の熟成期間を置いたお酒が古酒(クース)であり、口当たりがまろやかになります。

 

こうした古酒は、琉球王国時代には100年や200年物が存在していたとされています。ただ、第二次世界大戦で米軍が沖縄へ上陸したときの攻撃によって、そのほとんどが失われました。

 

また、このときの攻撃によって多くの酒造場がダメージを受け、終戦後では原料である米を入手できない状況が続きます。そこで米以外の原料として芋やソテツなどを代わりに用いて酒造りを行っていました。

 

ただ、終戦後の日本はアメリカの統治下に置かれており、酒造りは禁止されていました。そこで、先に記した芋やソテツなどを活用して密造酒を造るようになったのです。

 

そうしていると沖縄でも酒造りの必要性が認められ、1946年には沖縄県に酒造場が造られるようになります。こうして、第二次世界大戦で一時は生産がストップした泡盛でしたが、ゼロからスタートしていくようになります。

 

戦後は品質の悪い泡盛の密造酒が出回り、また酒造場を新たに建築する必要があるなど、大変な時期を乗り越えて今の泡盛があります。そうした泡盛は現在、沖縄を代表する蒸留酒にまで成長しています。


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