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酒屋業と酒造技術の発展:日本酒の歴史

 

酒によって身を滅ぼしたり、泥酔による暴力事件などが相次いだりしたことから鎌倉時代(1185~1333年)に禁酒令が出されたものの、これが室町時代(1336~1573年)になると酒が推奨されるようになります。

 

これは、酒を禁止するよりも、酒税を課して財源にしようという狙いからでした。そのため、この時代では酒の文化が大幅に発展するようになりました。

 

 酒屋業の発展
禁酒令によって一時は壊滅的なダメージを負った酒屋でしたが、室町時代では一転して酒の販売・製造が推奨されるようになります。

 

このような酒屋業は京都を中心に勢力を拡大させていきました。実際、京都の北野天満宮(北野神社)に保管されている文章によると、1425年には京都での酒屋は342軒にも達していたとされています。

 

この時代は酒の需要が高まったため、生産が間に合わないほどでした。それだけ酒が大きな商売になったことから、酒屋は大きな資本力をもつようになります。

 

このときの酒屋は酒の製造や販売だけでなく、金融業まで行うようになりました。この金融業を当時は土倉(どそう)といいました。お金を守ったり借金の取り立てを行ったりするために、用心棒を雇うまで大きな力をもつようになったといいます。

 

また、この時代には麹造りを行う麹屋が存在しました。麹(こうじ)は酒造りに欠かせない材料であり、酒の味や品質を決めるほど重要な役割を担っています。

 

そこで、麹造りに関しても、経済力をもった酒屋が進出するようになりました。これによって酒屋と麹屋の対立が起こり、結果として麹屋という職業は京都から無くなりました。その後は、酒造りの一環として麹造りが行われるようになったのです。

 

それからしばらくすると、京都以外の場所でも酒造りが行われるようになります。日本各地にその土地に馴染んだ酒が生まれるようになったというわけです。こうして、地域に根付いた酒のブランドが立ち上がります。

 

 段仕込み、火入れ、乳酸菌発酵の成立
日本酒造りでは、「蒸し米」「麹」「水」、そして酵母をたくさん培養させた「酒母」を混ぜることで発酵させます。このとき、全量を入れることはせずに、3段階に分けて仕込みを行います。このように、いくつかの段階に分けて酒造りを行うことを段仕込みといいます。

 

また、日本酒の元となる原酒を搾り取った後は、品質の劣化を防ぐために60℃くらいの温度で殺菌します。これを、火入れといいます。

 

これらは、既に室町時代に行われていたとされています。その根拠となるものに、日本で最初に民間の酒造技術について書かれた「御酒之日記」があります。

 

御酒之日記は室町時代に書かれた書物であり、ここには段仕込みや火入れ、乳酸菌発酵、木炭を用いたろ過など、現在でも行われている酒造技術が記されています。それだけ、当時は酒造技術が進んでいたのです。

 

フランスのパスツールが60℃程度の温度で低温殺菌する手法を開発したのは、1862年のことです。その500年くらい前には、既に日本で低温殺菌法が実践されていたのです。


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