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根来塗・紀州漆器の特徴と歴史

 

かつての日本は漆を税として徴収していたほど、漆は貴重な存在でした。そのため、漆を用いることで作られた漆器は、日本各地で発展するようになります。

 

その中でも、中世の頃に作られた根来塗(ねごろぬり)は価値の高い芸術品として知られています。

 

 根来塗とは何か
和歌山県にある根来寺に由来する漆器が根来塗です。鎌倉時代(1185~1333年)に、ここに住んでいる僧たちが寺で使用するために漆器を制作したことが根来塗の始まりです。

 

根来塗では、黒色と朱色の漆を用いて制作します。下地を施した後に黒漆を何度も塗り重ね、その後に朱漆を一回だけ塗ります。

 

当時、朱色はかなり貴重な存在でした。有力者であっても朱色の漆を使うことを控えるようにしていたことから、根来塗による朱色の漆器はかなり珍しかったのです。このようなこともあり、根来寺で作られる漆器の評判が高まるようになりました。

 

このような漆器は、長年使っていくうちに少しずつ摩耗していきます。すると、朱色の部分が薄れて、下から黒色の漆が出てくるようになります。

 

 根来塗・紀州漆器の特徴と歴史
 ※摩耗によって黒色が見えている様子

 

つまり、根来塗では使い続けるうちに見た目が変化していきます。このように、うっすらと黒色が見える漆器はより風情があるとされ、当時の人たちにもてはやされました。使い込んだ後に表れる「用の美」が評価されていたのです。

 

黒色が表れている根来塗の漆器が世間に流通するようになると、多くの人は「朱色が摩耗している漆器が根来塗である」と思い込むようになりました。ただ、本来の根来塗は朱色を塗った漆器であり、意図的に黒色を表したものではないことを認識しなければいけません。

 

しかしながら、前述の通り現在では、摩耗した後の状態の漆器を根来塗だと世間が認識しています。そこで現在では、あらかじめ朱漆を磨いておくことで、黒漆を覗かせた状態の漆器が根来塗として制作されています。

 

なお、朱色を用いずに黒漆だけを用いた根来塗を「黒根来」といいます。根来塗では、朱色であっても黒色であっても、模様をつけないのが一般的です。

 

 紀州漆器を知る
和歌山県に伝わる漆器の伝統工芸品が紀州漆器です。同じく和歌山県で行われている根来塗は、紀州漆器の一種であるといえます。

 

かつて、日本全土を統一した豊臣秀吉に対して、当時大きな勢力を誇っていた根来寺は反抗していました。そのために豊臣秀吉に目を付けられ、攻められることで一時は根来寺が壊滅状態に陥ります。

 

このときの僧たちは日本各地に散らばり、住み着いた土地で新たに漆器の手法を伝えたとされています。一説によると、このときの僧が同じ和歌山県の海南市で漆器を作り、紀州藩が保護する中で発展していったのが紀州漆器だともいわれています。

 

第二次世界大戦の後、紀州漆器は早くから合成塗料やプラスチック材料に着目し、伝統的な漆から脱却することで成功をおさめます。

 

ただ、このような方針は昔からの伝統的な技法を受け継ぐ人の減退を招くことに繋がりました。さらに、アジア製の安い漆器が入ってくることにより、産地自体が衰えるようになりました。そこで現在では、かつての伝統的な技法を用いた方法を取り入れ、和歌山県を代表する伝統工芸品までになっています。

 

紀州漆器はあくまでも、一般大衆を対象とした日用品です。そのため、漆器造りで行われる工程を簡略化し、良質な素材にはこだわらないが、一定の品質は保っているものが紀州漆器の特徴であるといえます。


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