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中世での蒔絵や螺鈿による装飾の確立

 

古くは米が税として納められていたのと同じように、かつては漆も税の一つでした。それだけ、昔の人にとって漆は貴重な存在だったのです。

 

中世の時代になると、漆を用いた技法が発達するようになります。単に黒色や朱色の漆を塗り重ねるだけではなく、そこに装飾を施すのです。こうして作られた作品は現代にも残っているものがいくつもあります。

 

 平安時代の漆器
平安時代(794~1185年)の中世では、金粉などを漆器に蒔きつけることで絵を描く「蒔絵(まきえ)」、光沢のある貝殻を付けた「螺鈿(らでん)」などが貴族たちに好まれるようになります。他にも、漆器を彫った後に金を沈める「沈金(ちんきん)」、色の付いた漆を使って絵を描く「漆絵(うるしえ)」などもあります。

 

これらを単一で用いるのではなく、複数の装飾法を組み合わせることで豪華な漆器を作っていきました。

 

 漆器  漆器

 

この時代の建築物としては、世界遺産にも指定されている中尊寺金色堂が有名です。12世紀前半に建てられた金を用いた豪華な建築物ですが、その内部を見ると漆が多用されています。蒔絵や螺鈿など、さまざまな装飾を施した漆芸品が存在するのです。

 

螺鈿で用いられる貝としては、夜光貝が有名です。ただ、夜光貝は一個の値段が高いです。それでも、高価な夜光貝を2万個以上も使って金色堂を建てたといわれています。

 

もちろん、螺鈿による装飾以外にも、大量の漆や金が使われたことを考えると、当時にかなりの財力を有していたことが分かります。

 

 鎌倉時代の漆器
平安時代の流れを引き継ぎ、鎌倉時代(1185~1333年)でも漆器が発展していきます。特に、蒔絵や螺鈿の技術はこの時代に確立したといわれています。

 

蒔絵では金粉や銀粉を用いることから、これら金や銀を粉にするときの技術が重要です。この時代に金粉や銀粉の開発が進み、微細な金粉・銀粉を作れるようになったといいます。粉の開発に伴い、蒔絵も発達したというわけです。

 

なお、この時代に製作された漆器の種類としては、根来塗(ねごろぬり)が有名です。根来寺にいる僧たちが日用品のために漆を塗ったことが根来塗の始まりです。

 

根来塗では、黒漆を数回塗ったあとに、朱漆を塗ります。このような漆器を使っていると、朱色の漆が摩耗してきます。すると、下に塗られていた黒漆が見えるようになります。こうした様子は風情があると考えられ、より価値があるものとされました。

 

これより後の時代になっても、漆塗りは途絶えることなく発展していきました。例えば、室町時代(1336~1573年)には「蒔絵を施した日本産の漆器」が海外へ向けて輸出されています。

 

英語の「japan」には、漆の意味も含まれています。これらの事実から、当時のヨーロッパにとって漆は日本の代名詞でもあったと推測することができます。

 

かつて、フランスのマリー・アントワネットが漆器をコレクションしていたことから分かる通り、ヨーロッパ諸国で漆器の芸術性が既に評価されていたのです。


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