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山本陶秀(やまもととうしゅう):備前焼の人間国宝

 

山本陶秀(1906~1994年)は岡山県備前市伊部(いんべ)出身の日本の陶芸家であり、人間国宝(重要無形文化財保持者)に認定された人物です。

 

同じく備前焼の人間国宝として知られる金重陶陽や藤原啓と共に、第二次世界大戦後の備前焼復興を支えた人物でもあります。

 

 山本陶秀という人物
陶秀といえば茶陶(ちゃとう:お茶を入れるための容器)といわれるほど、茶陶には優れた作品が多いです。

 

15歳のときに、山本陶秀は伊部にある窯元へ見習いとして入りました。備前焼作家として独立したのは27歳のときですが、ろくろの技術に優れていたことから「ろくろの名人」と呼ばれるようになりました。この技法が、優れた茶陶を生み出すようになります。

 

ろくろ技術に秀でていたのは、その研究熱心な志が大きく影響しています。当時、高級車を買えるくらいの値段がする書物として「大正名器鑑」がありました。大正名器鑑は、茶の道具や稽古など「茶道」について書かれた本です。

 

茶陶作りのために、山本陶秀は大正名器鑑を購入して研究を行いました。

 

その後、京都の陶芸家である楠部弥弌(くすべやいち)に師事します。ここで釉薬(ゆうやく:陶器の表面を覆うガラス質のもの)について学び、技術を磨いていきます。

 

陶秀が目指したのは、安土・桃山時代(1573~1603)の茶陶です。この時代の備前焼は茶の湯の世界で大きな注目を集め、全盛期を迎えていました。桃山備前という言葉があるくらい、安土・桃山時代の備前焼の評価は高いです。

 

そこで、備前焼・初代人間国宝である金重陶陽にも影響を受けながら陶秀は桃山備前を求め、その卓越したろくろ技術から独自の茶陶を生み出していきます。その後は、岡山県重要無形文化財保持者に認定されるなど、備前焼作家として大きな評価を得るようになります。

 

1979年には、日本随一の伝統と歴史をもつ伊勢神宮に「流れ胡麻三方花入」を献納します。

 

その翌年には、スペイン国王のファンカルロス一世とソフィア王妃に「花瓶」を献上するなど、国際的にも大きく活躍します。

 

そして、「茶陶の陶秀」が最高峰の技術であると認められたのは、80歳になってからでした。1987年に人間国宝の指定を受け、その茶陶の技が国の宝である認定されたのです。


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ギャラリーしょうざん
備前焼の産地である岡山県伊部で、備前最大のギャラリー。また窯元としての誇りと伝統で、備前焼の展示・販売を行う。

備前焼:ギャラリーしょうざん


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