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天保窯(てんぽうがま)

 

岡山県備前市の伊部(いんべ)は備前焼の町として知られています。この街の周辺は備前焼の窯元やギャラリーが立ち並んでおり、備前焼にちなんだ歴史的な建造物も数多く存在します。

 

その中の1つとして、天保窯(てんぽうがま)があります。天保窯は天保3年(1823年)ごろに作成された窯です。

 

 天保窯の歴史と外観
室町時代(1336~1573年)では、日本でお茶の文化が広まると共に備前焼が重宝されるようになりました。備前焼は日用雑貨として用いられていましたが、この頃から芸術品としても進化を遂げ始めます。それに伴い、備前焼の需要が高まりました。

 

そこで、室町時代の後期になると、備前焼の大量生産に対応するために大窯が作られました。大量の備前焼を大きな窯で一度に焼くことで、効率よく生産できたのです。

 

ただ、江戸時代(1603~1868年)になると備前焼の人気が衰え始めます。備前焼の生産量は少なくなり、大量生産するための窯はむしろ非効率になりました。大窯であると焼くための日数が長く、燃料代も高くなるからです。

 

これに対応するため、窯の小型化が行われました。江戸時代後期の天保(1830年~1843年)になると、この頃に小型の窯が3つ作られました。この3ヶ所に作られた窯のうちの1つが、先に挙げた天保窯です。

 

大窯では、大きなトンネルのような形をしていました。また、備前焼を焼くために30~40日の期間が必要でした。一方、小型化した窯では、小さな部屋がいくつも並んだような構造になっています。小ぶりの窯にしたおかげで、6~7日で焼き上げれるようになりました。

 

天保窯が築かれた当初、5つの部屋がありました。これが改修され、7室にまでなったといいます。このときの天保窯は昭和15年(1940年)ごろまで使用されていました。なお、少ない数量による生産を行うことができ、融通が利くことから、天保窯は融通窯とも呼ばれています。

 

備前焼が実際に焼かれていた古い窯の中で、現在でも残っているのはこの天保窯だけです。

 

昭和53年(1978年)には、天保窯を保護する動きが始まりました。そこで、風雨から守るために屋根を付けました。しかし、それでも乾燥による崩壊が進むため、今度は昭和60年(1985年)に樹脂加工による窯の強化工事を施しました。

 

現在、天保窯は誰でも見学することができます。伊部駅を降りて北に進み、茶褐色の煙突が見える風景を目にしながら進むと、10~15分ほどで天保窯に到着します。

 

 天保窯への道  天保窯

 

天保窯はフェンスで囲まれていますが、フェンス越しにその様子を見ることができます。正面の黒く焼けたレンガから、当時からの時代の流れを感じることができます。

 

 天保窯  天保窯 

 

横側から覗くと、いくつもの部屋に分かれていることを確認できます。今にも崩れ落ちてきそうですが、100年以上も前から使われてきた歴史を彷彿させます。

 

 天保窯  天保窯

 

天保窯は備前市指定文化財に認定されています。現在でも当時のままの姿を残し、備前焼の歴史と共に時を刻んでいます。


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ギャラリーしょうざん
備前焼の産地である岡山県伊部で、備前最大のギャラリー。また窯元としての誇りと伝統で、備前焼の展示・販売を行う。

備前焼:ギャラリーしょうざん


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