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旧閑谷学校

 

日本最古の庶民のための学校として、岡山藩の池田光政(いけだみつまさ)によって閑谷学校は設立されました。閑谷学校の建造物は、国によってほとんどが国宝や重要文化財として指定を受けています。

 

また、備前焼の里として知られる伊部の町に近いことから、瓦が備前焼でできています。学校を設立するときは、瓦を焼くためにわざわざ窯を新たに用意したといいます。それだけ多くの備前焼瓦を使用しており、建築完成までに31年かかるなど、多くの手間がかかった建造物です。

 

 閑谷学校の創設
閑谷学校の歴史は1666年から始まります。この年に岡山藩主であった池田光政は閑谷を訪れました。このとき、自然豊かな環境からこの場所を気に入り、庶民のための学校を設立するように命じます。

 

その後、1670年から建設が始まり、講堂や神社、石塀などの各施設が完成されたのは1701年であるといわれています。

 

「庶民の学校」であることから分かる通り、指導者を育てるために武士だけを受け入れた学校ではありません。普通の家庭に育った子供も受け入れられました。門戸は広く、他の藩に属する子弟も閑谷学校で学ぶことができました。

 

教育内容は、中国の思想家である孔子が説いた「儒教」などが行われました。国宝にも指定されている閑谷学校の講堂では、1と6のつく日に儒教が教えられたといいます。また、5と10のつく日は休日でした。

 

ただ、閑谷学校が完成する前に、建設を命じた池田光政は1682年に没します。つまり、閑谷学校の壮観な建造物ができあがる前にこの世を去ったのです。そこで、学校の繁栄と永続を願うという意味を込めて、池田光政を祀るための神社(閑谷神社)が建てられました。

 

閑谷学校での生活では、朝6時に起床して7時から勉強に取りかかります。その後、朝10時から講堂などに集まって勉強します。夕食は4時であり、その後も宿題や自習を行います。そして、夜10時に消灯です。

 

閑谷学校の評判は周囲にも聞こえており、学者・文人も多数訪れました。

 

 閑谷学校の様子
江戸時代(1603~1868年)から続く閑谷学校は文化財として大変貴重です。特に、「庶民対象の現存する学校建築物」としては、世界最古であるといわれています。今でも講堂に正座して講釈を受ける風習が続いています。

 

閑谷学校の敷地内に入る前には、池や広場があります。この池も重要文化財も一つです。

 

   

 

学校の敷地内に入ると、正面に閑谷神社があります。前述の通り、この神社に閑谷学校の創設を命じた池田光政が祀られています。

 

   

 

   

 

また、閑谷神社の隣には聖廟(せいびょう)があります。ここでは、儒学を最初に説いた孔子を祀っています。

 

   

 

講堂は国宝に指定されており、靴を脱いで中に入ることができます。木造の現存する建築物として、価値の高い建物です。その屋根は備前焼瓦でできており、その床なども含めて江戸時代から受け継がれています。

 

   

 

   

 

   

 

なお、校門や石塀なども重要文化財です。

 

   

 

石塀の先を抜けると、資料館にたどり着きます。閑谷学校に関わる貴重な資料や文化財が飾られてあります。

 

   

 

   

 

このように、閑谷学校には備前焼瓦を利用した建築物や精巧に造られた石塀など、独特の景観があります。閑谷学校へ行けば、昔からの親しまれてきた学び舎を今でもこの目で確認することができます。


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ギャラリーしょうざん
備前焼の産地である岡山県伊部で、備前最大のギャラリー。また窯元としての誇りと伝統で、備前焼の展示・販売を行う。

備前焼:ギャラリーしょうざん


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