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お茶の時代に陶芸の王者に立った備前焼の歴史を知る

 

備前焼は須恵器と呼ばれるものから発展した陶器です。初期の備前焼は現在のように活発に生産されておらず、時代に取り残される形で独自の発展を遂げてきました。

 

ただ、お茶の文化が発展するとともに、備前焼はその勢力を拡大していきます。戦国時代で知られる安土・桃山時代(1573~1603年)では、特に茶の湯が盛んでした。この時代の備前焼は、陶芸の中でも最も重宝された備品であるといえます。

 

 芸術品としての桃山備前
陶芸品といえば、芸術品としての色合いが濃いです。きれいな色で装飾された陶芸品を見れば、誰もが見入ってしまいます。

 

それに比べて、備前焼は決して色鮮やかではありません。色を付けるための素材も用いずに、土そのものを活かした色合いだけで勝負します。その素朴で枯淡な味が「備前焼の美」とされています。

 

そのようなこともあり、備前焼は芸術品としてではなく、日用品として主に活用されてきました。ただ、お茶の文化が広まるにつれて、お茶の席で備前焼が頻繁に使用されるようになります。特に安土・桃山時代はお茶の全盛期であり、この時代の備前焼の中には芸術ともいえる作品があります。

 

茶陶

桃山備前」という言葉があり、これは安土・桃山時代に作られた、主にお茶のための備前焼のことを指します。桃山備前は茶陶(ちゃとう:お茶を入れるための容器)が中心であり、備前焼の華であるといえます。

 

当時の備前焼生産量に比べると、桃山備前の量は全体の数パーセントにすぎません。それでも、お茶で使うために茶陶以外にも多くの茶道具が作られました。

 

日本産の陶芸品はたくさんありますが、この時代に最も使われていたのが備前焼なのです。

 

 お茶で備前焼が使われていた理由
日本史で必ず習う、お茶を大成させた人物に千利休がいます。彼は「わび茶(侘び茶)」を完成させた人物です。豪華な茶の湯ではなく、わび茶では簡素な精神を重んじます。

 

日本語には、わびさび(侘び寂び)という言葉があります。侘びとは、「さみしい、無念」などを意味する言葉です。これは、「簡素な」という意味で捉えることができます。備前焼をみると、鮮やかな色はなく簡素そのものです。そのため、備前焼はお茶の席で主役になることはありません。

 

あくまでも、備前焼は脇役に徹します。お茶本来の良さを引き立てるために存在するため、備前焼はまさに侘びの精神に合致するといえます。

 

また、寂びには「不完全な美」という意味合いがあります。すべてが整っている状態よりも、完全ではない状態の方が風情あると考えるのです。

 

例えば、日本では4月になると桜が咲きます。満開の桜を見て、多くの人は心を奪われることでしょう。それでは、桜が散ってしまった後はどうでしょうか。日本人でなければ、「残念だ」「美しくない」と思うことでしょう。

 

桜

ただ、日本にある寂びの精神では、桜が散った後のような不完全なものであっても美しいと考えます。

 

「ピンクの花びらが舞っている哀愁」

 

「数日前まで宴会で盛り上がっていた桜の周辺が閑散としている様子」

 

「桜の木が緑色になり始めることによる夏の到来」

 

そこから、奥深い感情が湧きあがってきます。これが、寂びの感覚です。これは、不完全なものに対する美を意識する日本人独特の概念であるともいえます。

 

備前焼も同じように、寂びの精神が宿っています。完全な美ではなく、不完全な美として備前焼は存在します。質素を重んじるわび茶の中でこそ、備前焼は引き立て役として大きな存在感を発揮します。

 

1つの芸術作品としてではなく、他と組み合わせることで活躍できる備前焼だからこそ、お茶の世界で重宝されたのかもしれません。

 

 お茶の時代に陶芸の王者に立った備前焼の歴史を知る  お茶の時代に陶芸の王者に立った備前焼の歴史を知る
 ※安土・桃山時代の作品

 

このころの備前焼は、当時天下をとっていた豊臣秀吉やわび茶を大成した千利休などによって使用されていました。茶筒に限らず、壺や茶碗、皿などに至るまで生産されていたといいます。日用雑貨として庶民の間で親しまれていた備前焼は、茶人たちによって「わびさびの美」へと登りつめていったのです。


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ギャラリーしょうざん
備前焼の産地である岡山県伊部で、備前最大のギャラリー。また窯元としての誇りと伝統で、備前焼の展示・販売を行う。

備前焼:ギャラリーしょうざん


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