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備前焼のルーツを探る:須恵器の歴史からはじまる備前焼

 

備前焼は岡山県備前市で盛んな陶器です。このルーツは5世紀ごろに朝鮮半島から伝わってきた須恵器にあります。この須恵器が変化することにより、日本各地で備前焼、越前焼、信楽焼、瀬戸焼などが生まれます。

 

今でも、全国各地に「須恵」「須江」「末」と、スエという名前の地名が残ります。これらの多くは須恵器に由来するものです。

 

かつて須恵器の生産地であったことから、そのように呼ばれていたのだろうと推測できます。

 

そのため、備前焼の発祥地である岡山県にも「須恵」という地名があります。

 

現在でも、伊部駅を降りて散策すると、備前焼で発展した街並みや立ち並ぶ店を楽しむことができます。備前焼で栄えた町が今の時代にも残っているのです。

 

 須恵器から備前焼への発展
古代では須恵器生産が盛んでしたが、これが中世になると備前焼へと発展します。須恵器と備前焼には、意味合いに大きな違いがあります。

 

須恵器はどちらかというと、当時の特権階級の人たちが用いるために作られていました。いわゆる、ステータスの1つであるとも考えられます。一方、備前焼は一般庶民が使う日用品として作られました。より生活になじんだ陶器として、須恵器から脱却していったのです。

 

このときの備前焼は、岡山県備前市の伊部(いんべ)と呼ばれる地方で発展しました。このころから、備前焼を作るための窯は巨大化していきました。生産された焼き物を流通させるための団体も現れはじめます。

 

ただ、作られた当時の備前焼をみると、須恵器の時代とほとんど変化はありません。瓦や皿、壺、鉢などが主です。

 

 備前焼が誕生したときの時代背景
備前焼の創成期は12世紀後半から13世紀前半にかけてです。これは、鎌倉時代(1185~1333年)に当たります。当時、岡山県は備前、備中、美作の3つの国に分かれていました。備前では備前焼が作られており、備中では亀山焼(かめやまやき)、美作では勝間田焼(かつまだやき)が行われていました。

 

隣の県では、兵庫県明石市で魚住焼(うおずみやき)、香川県綾上町では十瓶山焼(とかめやまやき)などが盛んでした。どれも須恵器に由来する窯です。

 

備前焼はこれら有力な窯に囲まれていました。そのため、他の国への流通が盛んには行われにくかったのだと推測できます。備前焼の生産数は少なく、実際に遺跡からの出土数もわずかです。時代から取り残される形で、備前焼は細々と作られていました。

 

他の焼き物をみると、このころには色鮮やかな作品が生産されています。しかし、備前焼は茶褐色の須恵器から大きく変わらない色合いのままでした。

 

これが功を奏したのか、芸術品としてではなく、備前焼はあくまでも実用品として使われ続けるようになりました。また、他の焼き物の影響を受けることなく、独自の方法で発展していきました。

 

こうした時代背景のために大きく出遅れた備前焼ですが、日用雑貨で使われる商品として次第に広がっていきます。その後、お茶の文化が広がると同時に、「自らは主役とならずに相手を引き立てる」という特性をもつ備前焼は焼き物の頂点に立つようになります。

 

 備前焼のルーツを探る:須恵器の歴史からはじまる備前焼
 ※鎌倉時代の作品

 

創成期に出遅れたことが、備前焼独自の文化を作ったといえます。でしゃばりすぎず、周囲の見栄えをよくする備前焼の美は、この時代に生まれたと考えられます。


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ギャラリーしょうざん
備前焼の産地である岡山県伊部で、備前最大のギャラリー。また窯元としての誇りと伝統で、備前焼の展示・販売を行う。

備前焼:ギャラリーしょうざん


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