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備前陶器窯跡(伊部南大窯跡・伊部西大窯跡・伊部北大窯跡)

 

備前焼は岡山県備前市の伊部(いんべ)で盛んに行われています。この町には、かつて備前焼が作られていたときの窯跡が残っています。これを、備前陶器窯跡といいます。

 

備前市に残っている窯跡としては、伊部南大窯跡(いんべみなみおおがまあと)、伊部西大窯跡(いんべにしおおがまあと)、伊部北大窯跡(いんべきたおおがまあと)が知られています。いずれも、国が指定している史跡です。

 

 備前陶器窯跡の歴史と外観
陶芸品といえば、芸術品としての意味合いが強いです。ただ、備前焼は芸術品としてではなく、むしろ日用雑貨として多く活用されていました。この傾向は鎌倉時代(1185~1333年)に強くなり、頑丈な日用品が望まれるようになったことから始まります。それに合わせる形で、壺やすり鉢などが作られるようになりました。

 

備前焼は岡山県の周辺で出回っていましたが、やがて全国各地へと販路が広がるようになります。それに伴い、備前焼に対する需要が高まっていきます。

 

それまで、備前焼を制作するための窯は小規模でした。しかし、これでは大きな需要に応えることができません。そこで、備前焼を大量生産するために大窯が作られました。室町時代(1336~1573年)の後期には大窯が築かれ、これを共同で使用するようになったのです。

 

大窯が作られた後の時代は、備前焼の全盛期を迎えます。備前焼の最高峰として、「桃山備前」という言葉があります。これは、備前焼が最も栄えていた安土・桃山時代(1573~1603年)に作られた作品を指します。

 

ただ、江戸時代(1603~1868年)に入ると、備前焼が衰退していきます。それまで、お茶の世界で活躍していた備前焼は、江戸時代の到来と共に沈んでいったのです。

 

江戸時代になって備前焼が売れなくなると、それまでの大窯はとても効率が悪くなります。需要が高くないので少量の備前焼を作りたくても、大窯では焼くための日数や燃料代が高くつきます。

 

そこで、この時代では窯の小型化が行われました。それまでの大窯ではなく、小さい部屋に分けることで少量生産を可能にしたのです。備前焼を焼くために、大窯では30~40日の期間が必要でした。一方、小型化した窯では、6~7日で焼き上げれるようになりました。

 

こうして、大窯の役割は終わりました。現在では、伊部の町に3ヶ所の大窯跡地があります。これが、備前陶器窯跡(伊部南大窯跡・伊部西大窯跡・伊部北大窯跡)です。

 

大きなものでは、全長53.8m、最大幅5.2mにもなります。中に仕切りのない窯としては、これは国内最大級であることが分かっています。

 

JR伊部駅を降りて、伊部南大窯跡には徒歩約10分 伊部西大釜跡には徒歩約20分 伊部北大窯跡には徒歩約15分で着くことができます。

 

下は伊部南大窯跡の写真です。真ん中が大きくえぐられていますが、ここにかつての大窯がありました。この窯では、壺やすり鉢などの日用雑貨が主に焼かれていました。

 

 伊部南大窯跡  伊部南大窯跡

 

さらに下には、伊部北大窯跡の写真を載せています。伊部北大窯跡へは、「天保窯へと続く道」または「天津神社から続く脇道」のどちらかによって行くことができます。森の中を登っていけば、すぐに窯跡に到着できます。

 

 伊部北大窯跡  伊部北大窯跡

 

伊部北大窯跡には、4基が確認されています。写真はそのうちの1基であり、全長約45メートル、幅4.7メートルの規模です。

忌部神社

 

なお、伊部北大窯跡から北へ少し歩くと、忌部神社(いんべじんじゃ)があります。創建は不明であるものの、窯元たちが備前焼の永続的な発展を願って祀りました。伊部北大窯跡の看板が立てられている窯跡は、忌部神社と天津神社を結ぶ道によって分断されています。

 

残りの3基は、忌部神社の北西斜面に作られていました。壺やすり鉢などの日用雑貨から、茶器や花器などの備前焼も作成されていたといわれています。


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ギャラリーしょうざん
備前焼の産地である岡山県伊部で、備前最大のギャラリー。また窯元としての誇りと伝統で、備前焼の展示・販売を行う。

備前焼:ギャラリーしょうざん


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