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備前焼の再評価と復興

 

備前焼の再評価と復興

江戸時代(1603~1868年)が終わると、明治時代(1868~1912年)に入ります。お茶の文化で最も活躍していた備前焼は、江戸時代に入ると衰退していきます。

 

ただ、明治時代になると、この勢いはさらに加速します。備前焼にとって、最も危機だったのが明治時代であるといえます。

 

ただ、明治時代が終わると備前焼は次第に復興していきます。再評価されるようになり、ここから備前焼の輝きが取り戻されるようになります。

 

 明治時代にどん底を味わう備前焼
江戸時代を含め、日本は長らく外国とは貿易をしないように「鎖国制度」が取られていました。しかし、明治時代に入るころには鎖国は取り払われ、外国との貿易が盛んになります。欧州文化が日本の中に流れ込み、それまでとは異なる文化が交じり合うようになりました。

 

それに伴い、日本独自の伝統文化に関する陶芸品はほとんど売れなくなります。備前焼も例外ではなく、備前焼を焼いてもまったく売れない時代が半世紀ほど続きました。

 

備前焼の産地である岡山県備前市伊部では、県外へと出てしまう人が現れ始めます。農業を始めたり、備前焼とは異なる新たな商売を開始したりする人も出現します。こうして、備前焼の職人は次第に数が少なくなっていきました。

 

明治42年(1909年)に発行された「和気郡誌」によると、当時の伊部村の備前焼制作に関わる戸数はたった8戸であったとされています。職人の数も、男女合わせて32人だったと記されています。

 

さらに、当時の備前焼の主要製品は土管であったとされています。かつてのように茶器などの日用雑貨を制作したのではなく、水を通すために必要な工事用のパイプを作っていました。桃山備前と呼ばれていた芸術品とは程遠いものです。

 

このような状況であっても、茶陶や生活雑貨、置物などは細々とではありながらも生産されていました。この時代に窯を守った人たちがいることで、現在のような伝統的な備前焼が残っているのです。

 

なお、このころの陶磁器は総じて評価が低い傾向にあります。この時代は欧米の工業化が取り入れられて、大量生産が始まります。そうなると、効率の悪い手作業は排除されます。工業製品向けの作品ばかりになり、手の込んだ芸術品は当然ながら生まれにくくなったのです。

 

 備前焼の再評価と復興
昭和(1926~1989年)の時代に入ると、古くからある日本の伝統文化が再評価されるようになります。時間が経つと共に、「焼き物に本来の芸術性を持たせなければいけない」と考えられるようになりました。工業化による大量生産から芸術品への生産と変わっていったのです。

 

この時代では、茶道が一般庶民にまで広まっていきました。大量生産による「工芸品」と個性のある「芸術品」が区別されるようになり、備前焼も少しずつ再評価されていきます。そこで、かつて備前焼の栄華を築いていた「桃山備前」の復興を目指すようになりました。

 

ただ、第二次世界大戦に入ると日本の物資不足が深刻になります。陶芸作家も兵隊に取られ、燃料もなく、窯の火を灯しつづけるのは困難な状況だったといいます。

 

戦争が終わりに近づくと、軍は備前焼を「手榴弾を入れるための枠」にすることを思いつきます。備前焼は強固であったため、兵器としても利用できると考えられたのです。実際、当時は備前焼による手榴弾体が数万個も作成されたといわれています。

 

こうして、明治時代から第二次世界大戦が終わるまで、約100年間も備前焼は苦しみ続けました。

 

 備前焼の発展
戦争が終わると、町に活気が戻り始めます。ただ、伊部の村では戦後の余韻が残り続け、作品を作るにも燃料代すら払えない時期が続きます。

 

そのような中、1950年に文化財保護法が施行され、伝統文化による人間国宝(重要無形文化財保持者)が制定されるようになります。そこから、1956年には金重陶陽が備前焼の人間国宝に認定され、その後も備前焼から何人もの人間国宝が輩出されます。

 

このような変化のあった1950年代から、備前焼が復興していきます。1952年には、備前焼に関わる陶芸家は24軒に過ぎませんでした。しかし、1964年の東京オリンピック、1972年の新幹線開通によって伊部の町では空前の備前焼ブームが起こります。

 

これらの備前焼ブームに乗り、岡山県備前市には多くの新人作家が生まれます。「備前焼を焼けば売れる」といわれるほど、当時は活気にあふれていました。新たな技法が生まれ、斬新なデザインも追及されて備前焼はさらに発展を遂げていきます。

 

現在の備前焼では、作家によって目指す方向性が異なります。茶陶を含めた茶器に力を入れる人がいれば、現代風にアレンジした造形物にチャレンジする人もいます。

 

いずれにしても、備前焼の最高峰と呼ばれた安土・桃山時代(1573~1603年)の作品を超えるために、作家たちは凌ぎを削っています。伝統を意識しつつも、新たな芸術性を発信することで備前焼は発展し続けます。


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ギャラリーしょうざん
備前焼の産地である岡山県伊部で、備前最大のギャラリー。また窯元としての誇りと伝統で、備前焼の展示・販売を行う。

備前焼:ギャラリーしょうざん


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