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藤原啓(ふじわら けい):備前焼の人間国宝

 

藤原啓(1899~1983年)は岡山県備前市出身の日本の陶芸家であり、人間国宝(重要無形文化財保持者)に認定された人物です。

 

39歳と遅くから備前焼に取り組んで人間国宝になったことを考えると、かなり異色の陶芸家であるともいえます。

 

 藤原啓という人物
1899年、岡山県備前市に藤原啓は生まれます。陶芸というよりも、藤原啓は小説や俳句などに対して才能を発揮しました。少年のころから雑誌を読み、さらには投稿まで行っていたのです。その後は、文学の世界を志して東京へ出ていき、編集社へ就職を果たします。

 

この頃は映画や演劇など、幅広い芸術に触れたといいます。そして1922年には、初の出版作(詩集)である「夕の哀しみ」を出します。その後は、出版社を辞めて作家に転向するまでに至りました。

 

ただ、文学の世界で生きていくことに限界を感じるようになります。そのため、1937年には文学の道を諦めて帰郷します。その翌年から、備前焼の制作を行うようになりました。

 

初の備前焼人間国宝・金重陶陽から指導を受け、備前焼の技法を学んでいきます。遅いスタートであったものの、文芸を学んでいたことから備前焼に芸術性を盛り込むようになります。

 

遅くから陶芸を始めるというデメリットよりも、それまで培ってきた芸術性が花開くことによるメリットの方が大きかった陶芸家が藤原啓でした。

 

金重陶陽が安土・桃山時代(1573~1603年)に作られた繊細な備前焼を制作したのに対して、藤原啓は力強くどっしりとした素朴な作風でした。桃山備前の技法を用いながらも、そこに近代的な独創性を付け加えたのです。

 

今は当たり前のようにある特徴的な形の備前焼であっても、藤原啓より以前には存在しなかったといいます。それだけ、当時は独創性にあふれた作品でした。これは、文学世界で芸術を学んだからこそ、異分野同士が融合して新たな作風が生まれたのだと推測できます。

 

 藤原啓(ふじわら けい):備前焼の人間国宝  藤原啓(ふじわら けい):備前焼の人間国宝
 ※藤原啓の作品

 

そして1970年、藤原啓は人間国宝(重要無形文化財保持者)に認定されます。

 

岡山県備前市には、藤原啓記念館があります。ここには、藤原啓が残した作品や多くの古備前が展示されています。1976年に藤原啓が備前市の名誉市民になったことから、同じ年に藤原啓記念館が建てられました。


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ギャラリーしょうざん
備前焼の産地である岡山県伊部で、備前最大のギャラリー。また窯元としての誇りと伝統で、備前焼の展示・販売を行う。

備前焼:ギャラリーしょうざん


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